誰にでもある話。

珍しくはない、誰にでもある話を、作ってはぼやいています。

青田風

 

 

(参考文献:これは、私の好きなChevonというバンドの『アオタカゼ』という曲からインスピレーションを受け書いた物語のような、恋文のようなものの一つです。『アオタカゼ』原曲の歌詞の解釈とか改変とかそういうものではありません。ただ私が、この曲が好きなのです。ぜひ、この素晴らしい曲を聴いていただければ、谷絹さんが書く素敵な歌詞を読んでいただければと思います。)

 

 

 それは、ある何ともない日のことだった。季節はもうきっと、夏。その夜、空に願いをかけた。昼に降っていた雨は何もかもを洗い流し、その夜に空に広がっていた星はずっと遠くて、どこまでも広くて、一つひとつが精一杯その光を争っていた。こんな途方もない星を跨いで今日だけ会える二人に、あの河に、何を願おうか。僕は、何になれるだろうか。すでに食べ切ったアイスキャンディーのハズレの棒をいつまでも咥えながら、一生懸命に輝き続ける空をただ、見ていた。見ているだけだった。今空の下にいる僕は、誰の何でもなくて、その場に立っていることすら疑うほどだった。何だか、体が浮いたような気がした。空に手を伸ばした。思わず、口から声が漏れた。「何者かになれますように」。そんな、ばかみたいな願いは隣の青々とした田を騒がせるほどの風に吹かれて消えていった。それはその日、一番強く吹いた風だった。

 

 それは、ある何ともない日のことだった。扉を開けるとすでに太陽は頭上で、びかびかと光っていた。そんなに光らなくても、みんな気づいてくれるのに。僕は、見慣れた道をひとり、歩いた。今日は、特に強く頭上に気配を感じ、何だか地面にのめり込んでしまいたい気分だった。一方で、僕の左側に広がる青い田んぼは、一つひとつがその気配に抗っていた。足が重くなる。僕の右側から僕と同じような服で、同じような持ち物を持った人たちが軽い足取りで僕を追い抜いていく。おはよう、なんて声が聞こえる。少し感じた風は、ただ暑かった。このまま、地面に溶けてしまいそうだった。

 やっとの思いでついた校舎は、相変わらずその大きくもない、廃れて色褪せた見た目で堂々としていた。けれども、僕にはその姿がどんどん伸びていくように見えて、今日も一歩も進めないでいた。そんな姿から逃げるように目を逸らしていると、背中に強い衝撃を感じ、それは通り過ぎていった。暑い風と、口から発せられる短く鋭い音と、眼光と気配と一緒に。少し押された勢いで上半身がその一歩の代わりに前に出たので、校舎に入ることが出来た。どこもかしこも熱くて、全身が焼けるようだった。今日は少しだけ、何者かになれるような気がした。

 そんなことを考えながら狭い箱の中に入った途端、ざっと風が吹き抜けていった。とても暑くて苦しいようなそんな風が吹き荒れた。その風は僕に直撃するかと思ったが、隣に吹いた。風は他人の願いをぐしゃぐしゃにして騒いで散らしていた。それは、可愛らしい色をした長細い紙。今回ばかりははっきり聞こえた、「他人を殺した報いが、ありますように」という願いと、願った人の名前。その願いを持つ隣の姿は、まるでぐちゃぐちゃに握り回された可愛らしい色の紙のように縮こまっていた。その風は痛みを持っていた。それは、僕にだってわかった。声を出そうと思ったら、痛んで出ない。痛みが刺して、風に逆らうことが出来なかった。流されるまま、刺されるまま、過ぎ去る様子を隣で見ていた。過ぎ去るまで、何も出来なかった。やっぱり僕は、何者にもなれそうにない。その風が過ぎ去る頃には、僕の前に大きな人が立っていた。気配を感じた。暑い。僕はやっぱり動けなかった。

 その風は、一定時間を過ぎるとすぐに吹き荒れる。騒がしかった。それはまるであの時に見た、聞いた、青田のようだった。吹く風の温度だけが違った。やっぱり僕は動けない。刺されていたのは、僕と隣だけで。この痛みは増すばかりだった。特に今日はいつもよりも酷くて、お腹が重くなる頃にはより一層吹いてた。僕じゃなかった。隣だった。もはや、僕は多分いないのと同じだった。きっと、今ここで出ていっても何も言われないだろうと思った。痛くて苦しくて息すらままならないように感じた。僕じゃないのに。でもやっぱり逃げ出したくて、重い腰を上げ、立ちあがろうとした。それをしたのは、僕じゃなかった。隣だった。勢いよく立ち上がって、あの星のひとつのように、青田の中のひとつのように、抗った。僕は今日初めて、顔を上げた。涼しいと思ったから。暑い風が止んだから、涼しい風が吹いたから。その時にはもう、僕の体は軽くなっていた。何だかまた、浮いたような気がした。だから、走れるような気がした。何者かになれるような気がしたから。それが、その瞬間だと思ったから。何かに、それに、弾かれたように、走った。爪の赤い、君の手をとって、走った。校舎はやっぱり、伸びていた。気配がした。でも夏は、それよりもはるかに大きくて、それがどこまでも追いかけてきて、そんな気がして怖かった。いつもの道を走る。僕の右側には、見慣れた光景があった。急に飛び出したからだろうか、目が眩んだ。思わず足が止まった。その時、青田の稲が靡いた。僕たちの横を通り過ぎた風は、妙に心地が良かった。二人の願いを乗せて吹いていったそれは、心地の良い、青田風だった。

視線

 最近思うんですよ。視線、気になるようになったな、と。

 自分が小学生だった頃、いや、中学くらいまでかな?あの頃はそんなもの、大して気にしたこと無かった気がするんだよな。……あー、嘘かも。学校とか、知ってる人からの目は気にしてたかも。そういうもんでしょ、学校とか、社会ってさ。もっとも当時の自分は、どうして気にしてるのかとか、はっきり答えられなかったかもしれないけど。

 でも、大人になるにつれてどんどん、周囲の「視線」って気になるようになったんですよね。ほら、みんな小学生の時なんか、積極的に手とかあげてたでしょ。ハイハイ!!!ってさ。当てられなくてブー垂れて。いつからしなくなったんだろうね、みんな。今なんて手を挙げる方が、当てられた方が、辛くなってきてる。なんでだろうって思ったんですよ。「視線」じゃないのかなって。

 視線って、実はなんでも語りかけるんですわ、自分が、自分に。ほら、ふと電車でぼーっとしてたら目があってしまった時とか、なんか見られてるなって視線、感じた時とか、思わず背筋がピンとしませんか、ね?別に自分の何かを気にしているわけではなかったとしても、自分は声が聞こえてくるんですよ。「不細工だな〜」、「変なカッコ」、「メイク濃いなこの人」、「感じわる」、「性格悪そう」とかなんとか。視線て、人のこと刺すんですよ、どうしても。ちょっと振り返って二度見されるとか、横目に見られるとか、そういうのでもすぐ気になるんすよ。だって刺されるから。おかしいな、刺されるようになったのっていつからでしょうね。

 

 そんなことを考えていたら、ある小学生の頃の出来事を思い出した。詳細には思い出せないが、確か自分が何かをして、何かを言ったら、周りが自分が言うことを信じてくれなかった。たくさんの人が自分を囲んで、自分を疑って、責め立ててきた。そんなに視線に脅されたら、自分だって目を逸らしたり、色んな人の視線に応えたくて周りを見回しながら必死に自分の訴えを伝えて主張するに決まってた。

 

 「キョロキョロするのって、嘘ついてる証拠なんだよ。」

 「根拠はあるの?」

 「テレビで見た。」

 「信じるの?」

 「うん。」

 「信じてくれないの?」

 「うん。」

 

なんだ、小学生の頃からもう、気にしてるじゃないか(笑)。

 

 視線に殺される気分になるのは、もう何度か殺された結果なんだろう。

 いや、自分は果たして「視線」に殺されたのだろうか?その視線の解釈をするのはお前自身なんだ。結局自分は自分を信じられないんだ、いつだって。自分を殺してるのは視線なんかじゃない。自分自身だろう。そんなことを気づかせてくれるものだって、視線だった。なんて皮肉なことだろうか。

 

見るな。

 

 最寄駅に着いてしまった。どうやら自分は、目の前を見つめては、思考を凝らしてしまっていたらしい。

 前に座る人の目線が、自分を刺す。ああ、また殺してしまった。

青春日記。

 僕は、極度の寂しがり屋だ。

 

 

 僕は毎日とんでもなく早起きをしては、家を飛び出している。友達と沢山喋れるからだ。毎朝早くに学校に行っては、友達に会うことを楽しみにしている。友達とたくさん話して沢山笑い合える時間が本当に好きだ。本当に楽しい。くだらない話をして、おかしいくらい笑って、おかしいくらい地面にのたうち回る。あの時間は、私の心は本当に満たされる。孤独なんて、これっぽっちも感じない。とても素敵な時間だ。

 

 

 だから、僕は授業の時間が嫌いだった。友達と話せない。距離が遠い。決まった席に座らなきゃいけない。それがとてもつまらなく感じて、とても孤独で、夏でもいつでも、なんだか寒いような心地がした。授業中は、寒くて寒くて耐えられない。でも、これが終われば大好き大好きな10分間が待ってる。友達と沢山話せる。その時が楽しみだった。だから僕はいつも、その後の10分間の楽しみのために、じっと冷たい椅子と机に張り付いていた。

 

 

 4時間目なんて最高だ。だって、その後長い長い昼休みが待ってるから。4時間目は、特に頑張って机と椅子に張り付いて居た。ほかの時間よりも、冷たく感じた。でも、昼休みに沢山沢山話せば、そのエネルギーで5,6時間目は乗り切れる気がした。だからいつも、昼休みのために4時間目を頑張っていた。4時間目が終わった瞬間は、それはそれは嬉しい。椅子が壊れるほどに勢いよく立ち上がる。先生にも、後ろにいるやつにも怒られてしまった。それを笑ってみてくれるみんなが好きだ。僕はこんな瞬間でさえ、この空間が、クラスが大好きだなと実感できる。

 

 

 今日は、僕が嫌いなトマトの押しつけあいをした。あいつが僕の弁当箱にトマトを投げ入れたのが始まりだった。僕が少し嫌な顔をして、僕の弁当箱に元々入っていたトマトを隣のやつの弁当箱に入れた。そいつがそれをしぶしぶ食ったから、もうひとつのトマトもやろうとした。そいつは「2個も要らねえよ!」なんて言いながら僕の箸をぐいっと押した。「おいやめろって!!」と笑いながら僕はそのトマトを他のやつに渡そうとした。みんな嫌がっていた。トマトがみんな嫌いだったらしい。面白くなって僕はみんなに向けてトマトを向けた。みんな虫を見たようにそれを避ける。それが波みたいで面白くて、僕はどんどんその波を立てた。その勢いで、僕はトマトを落としてしまった。とても丸くて赤くてかわいらしいトマトは、箸をずり落ちて地面にころがっていった。急にあたりが静まる。みんなトマトに夢中だ。トマトが転がる様子を皆で黙って眺めては、トマトが止まり、やがて動かなくなると、僕達は目を見合わせ、大笑いする。何が面白いのか分からない。だけど、とんでもなく面白かった。みんなが黙ってトマトを見送って、目を合わせて、大笑いするタイミングもバッチリだった。よりいっそう面白くなって、腹が割れるほどに大笑いした。食事どころじゃなくなってしまった。くだらない。トマトふたつでこんなに笑えるこの空間が本当に好きだ。幸せだ。

 

 

 今日もふたつのトマトと僕の友達のおかげで、温まるどころか暑いくらいになった。だから、5,6時間目はまぁまぁイケた。いや、寒いには変わりなかったし、相変わらず机も椅子も冷たいままだったし、椅子はがたついたままだった。でも、僕は帰り道が楽しみだった。みんなとまたワイワイ騒ぎながら帰れるからだ。

 

 ふと、帰りのことを考えると急に寒さが増した。だって、帰り道はみんなで手を振って、別の道へと進んでいくから。僕はその瞬間が、とてつもなく怖かった。みんなと手を振ると、一気に孤独が押し寄せてくる。僕から笑顔が消える。それが怖い。ひたすら怖かった。その怖さを思うと、僕は帰りたくなくなった。みんなで、この場所に残っていたいと思った。いつまでもこの場所にいたいと思った。だから僕は思わず、がたついた椅子からまた、立ち上がってしまった。みんなの視線が集まる。当たり前だ、授業中なんだから。6時間目の半分くらいを過ぎたあたりだった。また、みんなが驚いた顔をしては、クスッと笑った。そして、クラスは大笑いに包まれた。僕はその瞬間、我に返った。僕は、また目立ったことをしてしまった。恥ずかしさと、みんなが笑ってくれた嬉しさで思わず縮こまる。僕も、笑っていた。なんだか心が温まった気がしたので、改めて冷たい椅子に座り直して、残り半分の時間を過ごした。その半分の時間は、それは酷く長く感じた。だけど、いつもよりは短かったかもしれない。

 

 

 授業が無事終わり、みんなでいつも通り伸びをしては駄弁って、笑っていた。先生が来て帰りの会を始めるギリギリまで、僕達はいつも騒いでいた。先生が来た瞬間に自分の席にもどるあの時間さえも楽しいからだ。でも僕はやっぱり、帰りの時間が来るのが怖かった。だから少し、口走ってみた。

 

「今日は少しだけ、駄弁って帰らない?」

 

「お前それ、毎日言ってねえか?」

「明日はテストだろうが、今日くらい早く帰ろーぜw」

「また明日、沢山話そ?」

 

「…うん!また明日、たくさん話そう!」

 

そう僕が言うと、彼らは僕の肩に腕を思いっきり回してきた。

みんなで笑い合いながら、校門を出た。

 

 僕はこの瞬間も、大好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 また、寝てしまっていたらしい。

 

 そういえば、僕はまたここに来ていた。今はもう廃墟になってしまった、僕の中学校。

 

 みんな僕の方を見ては、指さして、沢山、沢山笑ってた、僕の中学時代が浮かぶ。そんなはずじゃなかったのに。僕の理想の学校は、友達と、一緒に笑って過ごしてるはずだったのに。

 

 

 僕は笑ってなかった。

 

 

 冷たい、冷たい机の上には、僕の傷だらけの左腕と、丸くてかわいらしい色をした錠剤が転がっていた。

 

 ホコリ被った地面には、持ってきた弁当と、新しくてツヤツヤな、丸くて赤くてかわいらしいトマトが転がっていた。

ただ、逃げたかっただけだった。

 

毎日毎日、なぜか目的もなく精一杯生きていた。

体も心もこんなに疲れているのに、誰に脅されているわけでもないのに、必死こいて電車に乗っては毎日したくもない勉強をしてはバイトへ行く。何かのために毎日何かしらの予定を入れては必死こいてその予定をこなしていた。毎日灰色の点が付いているカレンダーを見て、時には絶望する時もあった。ああ、休めないんだって、その場から動けないこともあった。でも、休みたいと叫ぶ体とは対照的に、心はなぜかあらゆるものに希望を持ってしまう癖が治らない。やりたいことはたくさんあるし、自分が愛されにくい方の人間であることを理解しているから、自分を受け入れてくれる人に必死に付いていってはしがみついていた。その手が少しでも離れた時は、自分でも信じられないほど絶望した。私の心は、自ら極端な寒暖差に飛び込んでいく癖があった。だから、すぐに風邪を引いてしまう。どんな服を着ても、どんな毛布をかぶっても、どうにもならないものだった。寒さに慣れないまま、暖かさを求めに行ってしまうのだった。だから、いつまでもこの体は寒がりで、今年は10月からマフラーをつけていた。

体は、正直に叫んでいた。もう限界だ、と。この頃毎朝おかしいほど起きれないし、一度寝てしまえば本当に何時間でも寝る体になった。最近は、お腹が空いていても出てきた食事を半分も食べればお腹が一杯になるどころか、気持ちが悪くなる。今まで甘いものは好きだったが極端に甘いものは苦手であった。でも今は、少しのコーヒーに対し大量のガムシロップを入れては数分で飲み干す。すぐに胃は痛くなるし、すぐにお腹を下す。できた傷は痕になって消えなくなった。いつの間にか、目の下にはクマがいた。最近猫背がひどくなった。それなのに、私の心はいつまでも夜に閉じこもろうとする。いつまでも起きようとする。何かに縋り付いて、視界を狭くして、無理やりなぜか生きようとしていた。

 

最近、物事や考えていることを整理するタイミングがあった。今までそうしなかったのは、整理することを恐れて無理やり予定を詰め込んでいたのも理由の一つだった。そうしてみたら、自覚した。今持っているものは悩みだけだった。訳もわからず行き先も見失いながら、ただ、ただ前に進もうと精一杯もがいて進んでいたら、どうやら森にでも来てしまっていたらしい。どこにも出口はなかったことに気づいた。今まで信じていた進んでいた道も途切れてしまっていたことに、つい最近足元をふとみて気づいた。どうやら、その道は随分前にとっくに途切れてしまっていたらしい。またもや、絶望してしまった。どうしようも無くなって、その場で寝た。小一時間であろうか。そんな時間で、私は呑気に夢を見た。夢の中で私は何をしていたかというと、今寝ている私のように、森の中を彷徨っては絶望していた。そこで私は、目を覚ました。どうやら、寝ても覚めても絶望らしい。

 

人は、このような状況に立たされた時何を思うだろうか。私は、ただ「逃げたい」と思った。どうしようもない時、人は逃げたくなる。当たり前のことではないだろうか?だから私は、なんとなくその場にあったイヤホンを首に巻いて寝てみた。明日の朝、もしかしたら眠ったままでいられるかもしれない、と。

 

もちろん、朝は来たし、目は覚めた。空が綺麗だった。思わず写真を撮った。最近の私の写真フォルダは空ばかり。

 

だからなんだ。なんなんだろう。ただ、逃げたいんだ

拝啓

〈拝啓、あなたへ。

 

 

 こんにちは、お元気ですか?

なんて、もう言わなくなってからどのくらい経つでしょうか。あなたに手紙をしたためることさえ、滅多にありませんね。慣れないものです。

 

 私は、いつものように毎朝のランニングを続けては季節が変わりゆくのを感じています。とうとう、鮮やかに色づいていた葉が落ち、隙間風が吹くようになりました。もう、冬になるんですね。なんだか、あっという間ですね。

 

 

 冬といえば、あなたに出会った頃をいつも思い出します。あなたは寒いからと言って、冬場はずっとマスクをつける人ですから、あの時も可愛らしいラベンダー色のマスクをつけていましたね。なので、私は会うたびにほとんどあなたの目元しか見えなかったのです。しかしあなたの瞳はいつも、キラキラと輝いていました。街のイルミネーションが映ったのか、それとも輝きを放っていたのかはわかりません。しかし、私にはあなたの瞳はビー玉のようにころっとしていて、とても美しかったことを、今でも鮮明に覚えています。その瞳に私は、吸い込まれてしまったのです。

 

 私は、あなたの瞳に吸い込まれたその日から、あなたに尽くそうと決めました。

 

 

 あなたは知っていますか?待ち合わせには、10分前には必ず着くように行きました。あなたが、もし何かあった時にはその都度対処できるように。もしあなたが遅刻しても、今日はあなたとどこに行こうか考えながら少しその辺りを回ってみたりしました。あなたは、自分が引っ張るよりも引っ張られていく方が好きだと知っていますから。あなたは気づいていましたか?歩く時は必ず、あなたの気分によって変わる歩幅を、私はよく合わせたものです。あなたは、嬉しくて楽しい時はすこし跳ねながら小刻みに歩きます。天気が良かったり清々しい気分の時は、風を感じるように大股でゆっくりと歩きます。悩んでる時は、いつもどこかを見つめながら、ゆっくりとしたテンポで1歩1歩、踏みしめるように歩きます。天気予報が雨の日は、あなたの服だけでなくリュックも濡れないように、大きい長傘を持っていきました。私はあなたがそのリュックを話さず大切にしているのも、知っていますから。あなたは、覚えていますか?時には、サプライズもしましたね。あなたが驚き、喜ぶその顔を見る度に私は、また生きる意味を見つけたような気がしていました。その頻度も、多かった気がします。あなたが病気をした時は、よく料理を作っては食べていただきましたね。いつも作りに行く時は、その病気に合わせてどんな食べ物が体に効くのか調べ、その上であなたの好みに合うような料理を作ったものです。なんだか懐かしくないけれど、懐かしい気持ちもしますね。

 

 

 それは、突然でした。最近のことです。一緒にカフェでコーヒーを飲んでいる時に、私はふとあなたの瞳が目に入りました。久々だったような気がします。その時、私は気づきました。あなたの目が、もうあの時のように輝いていないことに。いいえ、寧ろ磨りガラスのように曇ってしまったようにも見えました。光が、見えませんでした。その瞳は、私の知らないものでした。いつからそのようになっていたのか分かりません。ですがきっと、最近のことではないのでしょう。

 

 私は気づいたその時は、あなたのせいだと思いました。私は、ただ、あなただけを思っていましたから。いつだって私は、あなたの顔を思い浮かべていました。あなたがいつも喜ぶようにと、あなたがいつも笑えるようにと、あなたがいつも楽しんでくれるようにと、あなたが、あなたが、あなたが。でもそれは、私が、あなたの事をずっと思っていた訳ではなく、私が、あなたというものに囚われていただけなのかもしれません。ようやく気づきました。ただの、自己満足だったのだと、そう気づきました。

 

 

 気づいた時には、この衝動は止められませんでした。感情や気持ちなどは、説明しがたいものです。理由も言い訳も言えません。しかし体が勝手に動いてしまったのです。仕方が、なかったのです。ただ、それだけなのです。

 

 

 少し、筆が進みすぎてしまいましたね。すみません。私はいつまでも、変わらないのでしょう。

 

 それでは、さようなら。〉

 

 

 

*

 

 

 

 1日と3時間ほど遅れて見つかった遺体とともに見つけられた、汚れやシワのひとつもない真っ白のその手紙は、遺体のそばに、それは、それは丁寧に置かれていたらしい。

死にたい人についての考察

  「死にたい」

   最近の社会では、この言葉は色んな場所で聞かれるようになった。口頭で語られるだけでなく、ネットにもそこら中で書き込まれてる印象がある。もう、「死ぬ」という言葉自体はそう重くはないらしい。少なくとも僕には、そこら中にある「死にたい」という言葉は、そのように写ってしまうようになった。



   僕の友人にも、そう、軽く言った奴がいた。彼は僕とかなり仲良くしてくれていた。でもある時突然そう言い始めたのだ。彼は軽く言ったが、僕には彼が言うことで、不思議ととても重く聞こえた。


僕は焦って咄嗟に、

「僕は、お前には生きていて欲しいよ」


と答えた。彼は少し困った顔をしたように見えた。その時彼は、そっか、とだけ答えた。


そして僕の大切な友人は、その翌日に血まみれになって校庭で倒れてるのを発見されたのだった。屋上から見てその真下にあたる位置に、仰向けになっていた。



   僕は、彼に言われたその日から「死にたい」という言葉がとてもとても、重く聞こえるようになった。その人たちは、どういう気持ちで口にするのであろうか。


ほんの興味本位から、僕はTwitterで「死にたい」という単語で検索をかけた。僕は、少し後悔をした。胸が痛くなった。


お疲れ様と言われなかったから。少しバカにされたから。良心が無駄になったから。電車降りる時に押されたから。汚物を見るような目で見られたから。初めてのことが出来なかったから。多くの人から見られたから。否定されたから。雨だったから。眠いから。そんなことで人間って簡単に死にたくなるんだ。店長と喧嘩したバイト帰りにテイクアウトでご飯を買った時、家に帰ってワクワクして袋開けたら違う商品が入っていて、本当に絶望して死にたくなって大暴れした。そんなことでも人は絶望できる。


絶望すること、死にたいこと、それについて人は大変軽く感じているのだろう。そして、死にたい人だって、そうじゃない人だって、自分中心で生きてる。死にたい人はただ、自分が死にたい、それで周りがどのような処理に追われるか考えずただ死にたい、と呟くのだ。そうじゃない人はただ、死にたいと思う人に対して死ぬな、と自分勝手に声をかける。相手がそれを受け取って何を感じるのか考えずただ死ぬな、と声をかけるのだ。



   僕は、自分勝手ながら、それを承知で「死にたい」という人に生きて欲しい、と願ってしまった。今だって、正直そうだ。他人に対して優しく生きたい。彼が飛んでから、僕はよりいっそうそう思うようになった。僕のかける声で、もう二度と、相手を絶望させたくなかったから。



   ある時僕の彼女が口を開いた。

「もぅ…………死にたい。」


僕は、唇を震わせながら、それでも少し微笑んでこう答えた。

「そっか。きっと、とっても辛かったんだね。

それ程なら、死んじゃっていいと思うよ。君がそう、望むなら。」


彼女は目を見開き、驚いた顔をして僕を見た。そして彼女は、目を潤ませて僕に微笑んでくれた。ありがとう、そう言いながら。

残り火

   ある日の、日がすっかり暮れた時のことだ。季節は梅雨。じめじめとした空気が、俺の全てをどんよりと地面にめり込ませていくような、そんな心地がした。親のいないリビングで1人、俺はコンセントを首に巻いてみた。それは太く、頑丈なコンセントの線であった。首にまきつけては、両手で体の外側に強く引っ張ってみる。息が出来なくなってくる。本当に、新たな空気が体に入ってこない感覚になる。体は、その命が燃えている限りその火を守ろうとするようにできているらしい。息ができない俺は、海岸に打ち上げられた魚のように、虚空を見つめ口をパクパクと開けては閉めている。ついには息だけじゃなくなってきた。この行為は、息をしなくなるだけではなくありとあらゆる血管を止めることもしてしまう。なので息が出来なくなるよりも、頭に血が溜まって、ありとあらゆる穴から血がとび出てくるような、そんな感覚がしてきたことに耐えられなくなってきた。頭が、あのテレビの戦隊ヒーローの背後に映るド派手な大爆発と同じように飛び散る気がした。体も、それを察知したらしい。体の外側に向かってめいっぱい力を入れていた両手が、地面にヘタリと落ちた。ダメだった。今日も、死ぬ事が出来なかった。



   体だけではない。心にも、命が少しでも燃え続ける限り、守ろうと動く傾向がある。誰かの暴言が降りかかった時は、悲しくなるし、それが理不尽なものだったら拳を握る。少し嬉しいことがあると、少し希望の光を見たような気持ちになる。風邪をひいた時なんかには、風邪薬を貰いにわざわざ医者や薬局へ行く。


   守るどころか、飾ろうとする時だってある。風呂上がりは肌が乾燥するからとクリームを塗ったり、ニキビができやすいからと薬を塗ったり、見た目を気にして美容院に行ったり服を買ったり。誰のためでもない、全部自分のためだ。それをしたところで何にもならない。むしろ死にたいやつがすることでもない。なんのために金をかけているのか、気を使っているのか、分からない。


   何もかも信じられないし何もかも信じるし好きだけど嫌いだし帰りたいけど帰りたくないし寝たいけど寝たくないし死にたいけど死にたくない。心はいつだって、矛盾の中で生きてる。生きているのだ。それがデフォルトなのだ。だから、残り火にいつまでも酸素を与えようとしてしまう。それが本望じゃなくても。全身が死のうとしてても、どこかでその残り火を手で包みかくしてしまうのだ。俺は、なんのためにこう、必死に生きているのだろうか。



   幾分かの時間や日にちが経った。それでも、ああ、今日だってハサミを腹の上に突き立ててみたが、それ以上何も出来ない。服の上から何回か突き刺してみたが、刃は服すら破こうとしない。ただただ、内臓をつつかれるような感じがするだけであった。心地が悪い。また、命が弱々しくも燃えているのを感じる。この調子じゃあ、俺はおそらく、しばらくは変わることが出来ないだろう。人間だけでなく、物事はなんでもそうだ。急にハンドルを切っても、上手く曲がることが出来ないのは目に見えている。そんなことを今更気づく俺にまた、嫌気がさした。


   今の季節は梅雨が明けた頃、初夏。日本のじめっと湿っぽい空気と重たい直射日光は、俺をドロドロと溶かしていくような、そんな心地がした。俺は、短冊に願いを込めた。


「今年の冬こそ、死ねますように。」







〈参考文献〉


   以前私が、伊豆にある「まぼろし博覧会」という場所に行った際に『今年の冬こそ、死ねますように』という短冊が飾ってあるのに気づきました。私は写真こそ撮らなかったものの、1番記憶にあるのは、どんな狂った展示よりも、この小さな可愛い色の紙に書かれた願いでした。