誰にでもある話。

珍しくはない、誰にでもある話を、作ってはぼやいています。

「○○だめし」

 僕は、いつも通り高校で友達と笑って、今日の放課後を過ごしていた。


「やっぱお前は、いつも明るいよな〜」


今日も言われた。僕がよく言われる言葉だ。いつも笑って過ごしている。友達の前ではいつも楽しく笑っている。それが僕だ。


「おい、どこ行くんだよ」


急に立ち上がる僕を友達は驚いた様子で見つめてくる。僕は、ちょっと、と言って教室を出て、玄関とは逆の方へと向かった。今日は友達と喋っている最中だったというだけで、僕にとってはいつものことである。友達は、いつも決まって僕が放課後行く場所のことを知らないのである。



 僕はひとり、階段を登っていった。足取りはいつも変わらない。軽くもなければ、重くもない。いつからか、習慣になったのだろう。なんの気もなしに、どんどん登っていく。少し今日は喋りすぎたのか、あまり他の生徒が見当たらない。僕の足音がよく聞こえた。雑踏は苦手なので、自分の足音がよく聞こえるくらいが、僕にはちょうどいい。そんなことを考えていると、階段が途絶えていた。どうやら目的地に着いたらしい。僕はドアノブを捻り、前に押した。この学校は不用心なのかなんなのか、このドアに鍵をつけていない。だからドアは、難なく開いた。生暖かい風が吹く。上を見上げると、水彩画のような景色があった。水色に塗ったキャンバスの下部に、橙を少し足したような、そんな景色があった。_____綺麗だ。そんなキャンバスから目を逸らし、僕は真っ直ぐ柵へと向かった。網目模様のこの柵は、大層登りやすい。簡単に乗り越えられる。だから今日も、手足を3、4回上げただけで向こう側に降りれた。僕は、後ろを振り返る。こちらにも、大きなキャンバスが見えた。そして、下を向く。大して遠くは感じない。正直、何も感じるものはない。下を見て何か感じるというより、いつものように、今日も思考を巡らせていた。僕と話してくれる人のこと。僕を「明るい」という人のこと。僕を考えてくれる人のこと。僕自身のこと。あとは、もしもの話ばかり考えてる。まあ大体いつも、僕に関することばかりだ。笑えてくる。飽き飽きする。こんなに考えて、想像して、心で言葉を紡ぐのは得意なのに、僕の体はいつも動くのが苦手だ。いつだって成長しようとしない。実行に移そうとしない。だからこうして、いつもここに立っているのだ。今日も、ただ立っているのだ。動かないから。動けないから。あと、少しなのに。


 「何してんの?」


急に声がかかった。正直驚いた。一瞬僕に向かって言ってはいないのだろうと思った。なので少し黙っていると、


「ねぇ、何してんの?」


と、また声がした。自分に向けた言葉だと、ここで気づいた。いつからいたのだろうか。どうしてここにいるのだろうか。足音が聞こえなかったのは、僕が考えすぎていたからだと思う。これも、僕の成長できないところの一つだ。そんなことを考えながらそっと振り返ると、いつもと違う景色が、柵越しに見えた。そこには、見知らぬ女の子が立っていた。


「度胸だめし。」


僕は彼女のことを知らなかった。だけど、聞かれたから答えた。同じ制服を着ているし、怪しい人ではないだろう。いや、むしろ今この状況で怪しいのは、僕の方か(笑)。


「度胸だめし〜?」


彼女は、首を傾げた。不思議そうに、僕の顔を見てから近づいてきた。柵越しに、僕の背後、いや、その下の風景をそっと覗き込んだ。彼女は、躊躇いもなければ、表情も変えることはなかった。僕はその横顔になぜかとても惹かれた。


「ふーん。」


そう彼女が口を閉じたまま発すると、次に口を大きく開いた。


「じゃあさ、このあと、カラオケとか行かない???」


僕は声にできず、その場で口を開いていた。これが唖然、というものか?いや、少し違うかもしれない。とにかく訳が分からなかった。


「いこーよ!どーせこのあと暇なんでしょ?」


そんなつもりはなかった。このまま僕は、今日も空が黒く染まるまでここに居るつもりだった。しかし僕の体はいつの間にか柵を乗り越え、女の子にされるがままに手を引かれる。いつまでもこの体は、考えることを聞かないものだ。



   それから彼女は、僕がキャンバスの前に佇み、度胸だめしをする度に、毎回やってくる。つまりはほぼ毎日、やってくる。そして彼女は「ためしに、もう1日だけ!」と言っては僕を柵の内側に連れ込む。いろんな所へ連れていかれた。カラオケ、インスタ映えだのなんだのするカフェ、ふれあい動物園、海、公園、ショッピングモール、商店街、神社、メイド喫茶、区の図書館、廃工場とかにも連れていかれた。チョイスがまるでわからない。こんなことが楽しいのだろうか。いや、楽しんでるのはどちらだろうか。きっと僕ではない。たぶん。そうだと思う。そう思いながら今日も手を引かれる。僕の頬は緩んでいたかもしれない。わからないけど。



   ある日を境に、彼女は消えた。



   今日は放課後に、学校の図書館に行った。課題に資料を使うためだった。どうして課題をしているのか、僕にはあまり理解が出来なかった。別にやる必要なんてないのに。でも、「やらなければ」とどこかで思っていた自分がいた。本を借り終わると、今日もひとり、階段を登った。足取りはいつもと変わらない。今日も生徒はそれほど残っていなかった。いつもの事だ、ほとんどの生徒は颯爽と帰っていく。一体、何をそんなに急いでいるのだろう。まあ僕には知ったことではない。そんなことを考えていると、足音は止まった。僕はドアノブを捻り、前に押した。ドアは難なく開いた。前から風が押し寄せる。今日は生暖かい風の中に少し、冷たさを感じた。上を見上げると、キャンバスは既に橙に染まっていた。いつから水色を使わなくなったのだろう。あの水色と橙が混ざりあう境界を見つめるのが好きだった。少し、残念に思う。しかしそれでも、目の前に広がる水彩画は、綺麗だった。キャンバスから目を逸らし、僕は真っ直ぐ柵へと向かった。手足を3、4回上げてから向こう側の地面に足を着いた。僕は振り返る。そして、下を見つめては考えを巡らせる。巡らせようとする。今日はなんだか上手くいかない。物足りない気がする。最近はここでいつも「何してんの?」と声がかかっていたから。今日はそれが、無い。邪魔が入らなくていいか。そう思ったのだが、上手く、上手く考えられない。いや、考えることに上手いも下手もないのだが。しかし、今日はなかなかいつも通り考えることが出来ず、気づけば彼女が来ることの無いまま、キャンバスには深い青色が混ざってきていた。僕は、やるせない気持ちになった。なぜかはわからない。でも心は、そこまで穴の空いた感じもしなかった。むしろいつもよりも調子が良かった。なぜかはわからないが。僕は、顔を上げた。いつもより姿勢がいい気がする。顔だって、いつもより緩んでる気がする。まあ、どうだっていい。1歩踏み出そうか、そう考えた。


僕は口を開いた。

「ためしに、もう1日だけ。」


僕はキャンバスに背を向けた。

いつまでもこの体は、考えることを聞かないものだ。