誰にでもある話。

珍しくはない、誰にでもある話を、作ってはぼやいています。

視線

 最近思うんですよ。視線、気になるようになったな、と。

 自分が小学生だった頃、いや、中学くらいまでかな?あの頃はそんなもの、大して気にしたこと無かった気がするんだよな。……あー、嘘かも。学校とか、知ってる人からの目は気にしてたかも。そういうもんでしょ、学校とか、社会ってさ。もっとも当時の自分は、どうして気にしてるのかとか、はっきり答えられなかったかもしれないけど。

 でも、大人になるにつれてどんどん、周囲の「視線」って気になるようになったんですよね。ほら、みんな小学生の時なんか、積極的に手とかあげてたでしょ。ハイハイ!!!ってさ。当てられなくてブー垂れて。いつからしなくなったんだろうね、みんな。今なんて手を挙げる方が、当てられた方が、辛くなってきてる。なんでだろうって思ったんですよ。「視線」じゃないのかなって。

 視線って、実はなんでも語りかけるんですわ、自分が、自分に。ほら、ふと電車でぼーっとしてたら目があってしまった時とか、なんか見られてるなって視線、感じた時とか、思わず背筋がピンとしませんか、ね?別に自分の何かを気にしているわけではなかったとしても、自分は声が聞こえてくるんですよ。「不細工だな〜」、「変なカッコ」、「メイク濃いなこの人」、「感じわる」、「性格悪そう」とかなんとか。視線て、人のこと刺すんですよ、どうしても。ちょっと振り返って二度見されるとか、横目に見られるとか、そういうのでもすぐ気になるんすよ。だって刺されるから。おかしいな、刺されるようになったのっていつからでしょうね。

 

 そんなことを考えていたら、ある小学生の頃の出来事を思い出した。詳細には思い出せないが、確か自分が何かをして、何かを言ったら、周りが自分が言うことを信じてくれなかった。たくさんの人が自分を囲んで、自分を疑って、責め立ててきた。そんなに視線に脅されたら、自分だって目を逸らしたり、色んな人の視線に応えたくて周りを見回しながら必死に自分の訴えを伝えて主張するに決まってた。

 

 「キョロキョロするのって、嘘ついてる証拠なんだよ。」

 「根拠はあるの?」

 「テレビで見た。」

 「信じるの?」

 「うん。」

 「信じてくれないの?」

 「うん。」

 

なんだ、小学生の頃からもう、気にしてるじゃないか(笑)。

 

 視線に殺される気分になるのは、もう何度か殺された結果なんだろう。

 いや、自分は果たして「視線」に殺されたのだろうか?その視線の解釈をするのはお前自身なんだ。結局自分は自分を信じられないんだ、いつだって。自分を殺してるのは視線なんかじゃない。自分自身だろう。そんなことを気づかせてくれるものだって、視線だった。なんて皮肉なことだろうか。

 

見るな。

 

 最寄駅に着いてしまった。どうやら自分は、目の前を見つめては、思考を凝らしてしまっていたらしい。

 前に座る人の目線が、自分を刺す。ああ、また殺してしまった。