誰にでもある話。

珍しくはない、誰にでもある話を、作ってはぼやいています。

 私は、美しさのためならなんでもする。

小学生の頃に習った「美」という漢字の美しさに見惚れてから、私はだんだんと美しさを求めるようになった。最近、その衝動が顕著になったところだ。

 

 まず、美しいこととはなんなのかを考えてみた。考えた結果、私は自分の家にある、全身が写るそこそこ大きな鏡の前に立ってみた。自分の身体や顔には、「美」という文字は見つけられなかった。自分には、「汚」という字に見えた。その瞬間、「汚」という文字が全身に溢れて見えた。絶望した。息もできない気持ちになった。身体の中から色々なものが溢れてくるのを感じた。私は、涙をこぼしながら嘔吐し、その場に崩れ落ちた。地面に落ちる涙、吐瀉物、涎、声、息、全てが汚く見えた。

 

 その日から、私は水とレタス以外、何も口にしなくなった。水は美しい。なんでも透かし、輝くその姿はとても美しく、身体に入れるとサラサラと流れていく。その様子が、とても美しかった。レタスだってそうだ。外は汚いので大量に剥ぎ取っては捨てるが、中の葉は光を当てるとキラキラと輝く。口に入れると美しい声で鳴く。身体にも良く馴染みやすかった。心地よく感じた。

 

 そんな日を何日か続けていると、ある日世界が歪んで見えた。気付いたら地面に横たわっていた。世界が汚かった。その時ふと窓に映った自分の姿は、やはり「汚」で溢れていた。しかし一箇所だけ、チラリと映った私の腹が、「美」と映った。私はこの文字を見て、それは感動した。今までに味わったことのない感覚に襲われた。嬉しかった。自分の中に「美」という文字があることに、小学生のあの時味わった感覚を思い出した。私の瞳に熱いものを感じた。なんとか這い上がり地面を見ると、「汚」という文字がポツポツ転がっているのが見えた。

 

 次に私は、小さい鏡で自分の顔をじっと見つめるようになった。眉、目、鼻、口、どの場所を見ても汚い。今日は、薬局で「あなたも美しい瞳に」「美眉が作れる」「美しさを、解き放とう」「美しく透明感あふれる肌に」などと、「美」と入った広告が載っていたありとあらゆる化粧品を買ってみた。使い方もそう分からないので、とりあえず当てはまりそうな場所に塗って、つけて、叩いてみた。しかしどれだけやって鏡を見ても、「美」という文字は見えなかった。また、身体の中から何かが出ようとする気配がした。一度、全てを無かったことにしてみた。化粧を落とし、改めて顔を見てみた。この顔に、何か原因があるのだ。そう気付いてしまった。その瞬間、やはり身体の中から色々なものが溢れるのを感じた。我慢ならなくなり、机の上に転がった化粧品を全て投げ飛ばした。叫んだ。自分の顔を何度も殴った。その場の目に映るもの、耳に入るもの、ここにある感情、化粧品についた微かな香りがそれぞれ混ざりあい生み出された匂い、全てが汚く思えた。本当に我慢ならなくなり、咄嗟にその場にあった鋏を取って自分の腕に突き立て机に固定した。すると、自分の身体の動きは止まった。息を切らしながら机の上を見ると、大量に転がった「汚」の文字を濡らす多くの「美」の文字が見えた。私の瞳と心は小学生の頃に持っていた輝きを取り戻した。その文字を辿ってみると、どうやらそれは私の腕から生まれていた。美しさの正体は、自分の中に流れる血であった。私はまた、自分の瞳に熱いものを感じた。机の上に広がる「美」の文字には、「汚」の文字が転がっていた。

 

 気づくと私は、病院のベッドの上らしきものに転がっていた。隣には母親がいた。自分の顔に似ている。汚い。また、吐くかと思った。しかし母親の後ろには、キラキラ光り輝く「美」が見えた。私の家のそばには、海が見える大きな病院があったことを今思い出した。私は、この美しさを求めていたのだ。思い出した。この景色が、自分になればいいのに。自分の中に、これがあれば。そう考えた時、また瞳が熱くなった。「汚」が地面に転がる前に、私は腕についていた点滴の針を引き抜き、その時出せる最大の気力を出して病院の部屋を飛び出した。腕からは「美」の文字がまた転がり落ちていた。その様子を見ると、私の身体は喜び元気になったような気がした。さらに気力が生まれた気がした。私は窓越しに見えた海に向かって走っていった。

 

 ついた場所は、大きな崖になっていた。大きな崖の下に、海は広がっていた。まだ日が昇っていて、海はやはり美しく鳴きながら光り輝いていた。恐る恐る膝をつき、覗き込んでみた。少し足が震えたが、その美しさには敵わなかった。私はやはり、これになりたいと心から感じた。しばらく見つめていたが、その気持ちははやるばかりだった。私が小学生の時に感じた、なんとも言えないこの素晴らしく、心がキュッとなるけど温かく染まる、そんな気持ちがまた感じられた。多分これは、小学生ぶりというか、それを超えるものがあったと思う。私はすっかり感動し、多くの「美」の文字を崖の上からじっと眺めていた。するとうっすらとそこに、「汚」の文字が見えた。目を凝らしてみると、小さく薄いが多くの「汚」があることに気づいた。驚いて私は手を口元に当てると、その「汚」の文字が動いた。そうか、これは海に映った自分の姿なのか。自分はこんなに美しいものでさえ汚してしまうのか。私はどうしてもこれになりたい。この美しさに染まりたい。どうしたら自分はこれほどまで美しくなれるのか。私は立ち上がり目の前に広がる「美」たちに尋ねた。答えは当然返って来ず、ただただ「美」たちは美しく鳴くだけであった。私はたまらず、自分で考えるしかないと頭を抱えた。

 

 _____ふと、一つの考えが浮かんだ。

美しさの中に飛び込めば、自分も美しさに染まれるのではないか、と。

そう思った時には、私の体は動いていた。

 

 私は目の前に広がる美しさに向かって走っていった。そして崖から勢いよく飛んだ。飛んで少し経った頃だろうか。私の頭に大きな衝撃が走った。そして私の全身は冷たさに包まれた。私は冷たさの中なんとか目を開けた。目の前には、美しさが広がっていた。身体はぶくぶくと泡を立てながら沈んでいく。上を見上げると、自分の頭部から「美」が溢れていることに気づいた。その瞬間、私の瞳に熱いものを感じた。感動した。私はついに、「美」になることができたのだ。人生で一番幸せな気分であった。この瞬間は、後にも先にも感じることができないだろう。私は今、小学生の時に見た、あの美しさそのものなのだろう。そう思うだけでもう、もう、言葉にできないほど本当に嬉しかった。嬉しさのあまりか、視界がぼやける。すると、なぜか自分の意識も遠のいている気がした。上下の視界が狭まってきていた。暗くなっていく。声を出そうにも、なんだか上手く声が出ない。おかしい、おかしい・・・。そう思った頃にはもう、手遅れだった。冷たい水の中に、私の瞳が熱く燃えるのを感じるだけであった。

 

 最後に見えた景色は、たくさんの「美」という文字と、そこに転がって浮かんでいく少しの「汚」という文字だった。

「○○だめし」

 僕は、いつも通り高校で友達と笑って、今日の放課後を過ごしていた。


「やっぱお前は、いつも明るいよな〜」


今日も言われた。僕がよく言われる言葉だ。いつも笑って過ごしている。友達の前ではいつも楽しく笑っている。それが僕だ。


「おい、どこ行くんだよ」


急に立ち上がる僕を友達は驚いた様子で見つめてくる。僕は、ちょっと、と言って教室を出て、玄関とは逆の方へと向かった。今日は友達と喋っている最中だったというだけで、僕にとってはいつものことである。友達は、いつも決まって僕が放課後行く場所のことを知らないのである。



 僕はひとり、階段を登っていった。足取りはいつも変わらない。軽くもなければ、重くもない。いつからか、習慣になったのだろう。なんの気もなしに、どんどん登っていく。少し今日は喋りすぎたのか、あまり他の生徒が見当たらない。僕の足音がよく聞こえた。雑踏は苦手なので、自分の足音がよく聞こえるくらいが、僕にはちょうどいい。そんなことを考えていると、階段が途絶えていた。どうやら目的地に着いたらしい。僕はドアノブを捻り、前に押した。この学校は不用心なのかなんなのか、このドアに鍵をつけていない。だからドアは、難なく開いた。生暖かい風が吹く。上を見上げると、水彩画のような景色があった。水色に塗ったキャンバスの下部に、橙を少し足したような、そんな景色があった。_____綺麗だ。そんなキャンバスから目を逸らし、僕は真っ直ぐ柵へと向かった。網目模様のこの柵は、大層登りやすい。簡単に乗り越えられる。だから今日も、手足を3、4回上げただけで向こう側に降りれた。僕は、後ろを振り返る。こちらにも、大きなキャンバスが見えた。そして、下を向く。大して遠くは感じない。正直、何も感じるものはない。下を見て何か感じるというより、いつものように、今日も思考を巡らせていた。僕と話してくれる人のこと。僕を「明るい」という人のこと。僕を考えてくれる人のこと。僕自身のこと。あとは、もしもの話ばかり考えてる。まあ大体いつも、僕に関することばかりだ。笑えてくる。飽き飽きする。こんなに考えて、想像して、心で言葉を紡ぐのは得意なのに、僕の体はいつも動くのが苦手だ。いつだって成長しようとしない。実行に移そうとしない。だからこうして、いつもここに立っているのだ。今日も、ただ立っているのだ。動かないから。動けないから。あと、少しなのに。


 「何してんの?」


急に声がかかった。正直驚いた。一瞬僕に向かって言ってはいないのだろうと思った。なので少し黙っていると、


「ねぇ、何してんの?」


と、また声がした。自分に向けた言葉だと、ここで気づいた。いつからいたのだろうか。どうしてここにいるのだろうか。足音が聞こえなかったのは、僕が考えすぎていたからだと思う。これも、僕の成長できないところの一つだ。そんなことを考えながらそっと振り返ると、いつもと違う景色が、柵越しに見えた。そこには、見知らぬ女の子が立っていた。


「度胸だめし。」


僕は彼女のことを知らなかった。だけど、聞かれたから答えた。同じ制服を着ているし、怪しい人ではないだろう。いや、むしろ今この状況で怪しいのは、僕の方か(笑)。


「度胸だめし〜?」


彼女は、首を傾げた。不思議そうに、僕の顔を見てから近づいてきた。柵越しに、僕の背後、いや、その下の風景をそっと覗き込んだ。彼女は、躊躇いもなければ、表情も変えることはなかった。僕はその横顔になぜかとても惹かれた。


「ふーん。」


そう彼女が口を閉じたまま発すると、次に口を大きく開いた。


「じゃあさ、このあと、カラオケとか行かない???」


僕は声にできず、その場で口を開いていた。これが唖然、というものか?いや、少し違うかもしれない。とにかく訳が分からなかった。


「いこーよ!どーせこのあと暇なんでしょ?」


そんなつもりはなかった。このまま僕は、今日も空が黒く染まるまでここに居るつもりだった。しかし僕の体はいつの間にか柵を乗り越え、女の子にされるがままに手を引かれる。いつまでもこの体は、考えることを聞かないものだ。



   それから彼女は、僕がキャンバスの前に佇み、度胸だめしをする度に、毎回やってくる。つまりはほぼ毎日、やってくる。そして彼女は「ためしに、もう1日だけ!」と言っては僕を柵の内側に連れ込む。いろんな所へ連れていかれた。カラオケ、インスタ映えだのなんだのするカフェ、ふれあい動物園、海、公園、ショッピングモール、商店街、神社、メイド喫茶、区の図書館、廃工場とかにも連れていかれた。チョイスがまるでわからない。こんなことが楽しいのだろうか。いや、楽しんでるのはどちらだろうか。きっと僕ではない。たぶん。そうだと思う。そう思いながら今日も手を引かれる。僕の頬は緩んでいたかもしれない。わからないけど。



   ある日を境に、彼女は消えた。



   今日は放課後に、学校の図書館に行った。課題に資料を使うためだった。どうして課題をしているのか、僕にはあまり理解が出来なかった。別にやる必要なんてないのに。でも、「やらなければ」とどこかで思っていた自分がいた。本を借り終わると、今日もひとり、階段を登った。足取りはいつもと変わらない。今日も生徒はそれほど残っていなかった。いつもの事だ、ほとんどの生徒は颯爽と帰っていく。一体、何をそんなに急いでいるのだろう。まあ僕には知ったことではない。そんなことを考えていると、足音は止まった。僕はドアノブを捻り、前に押した。ドアは難なく開いた。前から風が押し寄せる。今日は生暖かい風の中に少し、冷たさを感じた。上を見上げると、キャンバスは既に橙に染まっていた。いつから水色を使わなくなったのだろう。あの水色と橙が混ざりあう境界を見つめるのが好きだった。少し、残念に思う。しかしそれでも、目の前に広がる水彩画は、綺麗だった。キャンバスから目を逸らし、僕は真っ直ぐ柵へと向かった。手足を3、4回上げてから向こう側の地面に足を着いた。僕は振り返る。そして、下を見つめては考えを巡らせる。巡らせようとする。今日はなんだか上手くいかない。物足りない気がする。最近はここでいつも「何してんの?」と声がかかっていたから。今日はそれが、無い。邪魔が入らなくていいか。そう思ったのだが、上手く、上手く考えられない。いや、考えることに上手いも下手もないのだが。しかし、今日はなかなかいつも通り考えることが出来ず、気づけば彼女が来ることの無いまま、キャンバスには深い青色が混ざってきていた。僕は、やるせない気持ちになった。なぜかはわからない。でも心は、そこまで穴の空いた感じもしなかった。むしろいつもよりも調子が良かった。なぜかはわからないが。僕は、顔を上げた。いつもより姿勢がいい気がする。顔だって、いつもより緩んでる気がする。まあ、どうだっていい。1歩踏み出そうか、そう考えた。


僕は口を開いた。

「ためしに、もう1日だけ。」


僕はキャンバスに背を向けた。

いつまでもこの体は、考えることを聞かないものだ。